七夕に思う――語り継がれ、読み継がれてきたもの
「七夕」と聞くと、どんなことを思い浮かべますか。七月七日。短冊に願い事を書いてささ竹に飾る。牽牛(彦星)と織女(織り姫)が一年に一度だけ会える日。天の川。あるいは、「たなばたさま」の歌などでしょうか。
現代の私たちが親しんでいる七夕ですが、その記述は古く、千五百年ほど前の中国の本に「七月七日、牽牛・織女、聚会の夜と為す」と出てきます。日本にいつごろ七夕の行事が伝わってきたのか、はっきりとはわかりません。もともと日本には、川辺に棚を設けて機を織る「棚機つ女」とよばれる女性の話が伝承されていたといわれており、その「棚機」と、中国の牽牛・織女の話が重なって、七月七日の夜のことをいつしか「七夕」というようになったようです。
彦星と織女と今夜逢はむ天の川門に波立つなゆめ
彦星と織女星とが今夜会うという天の川の渡り場に、波よ、荒く立つな、決して。
これは、現存する日本最古の歌集である「万葉集」に出てくる和歌です。声に出して読んでみましょう。現代の文章と比べて、言葉遣いや仮名遣いの違うところはありますが、千二百年以上も前の奈良時代の人々が、年に一度の七夕の夜、二人が無事に会えるように願っていたことがわかりますね。
七夕の記述は、約千年前の平安時代に書かれた「枕草子」や「源氏物語」にも出てきます。七夕は、織物の上手な織女にあやかり裁縫の上達を願う行事でしたが、このころには、書道、和歌、楽器など芸術的な技術の上達を願うものとなっていました。
次の文章は、鎌倉時代の随筆「徒然草」の一部で、七夕が秋の行事であるといっています。現代とは暦が違うので、古典に出てくる七月七日の季節は秋になるのです。
七夕まつるこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、雁鳴きてくるころ、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、取り集めたる事は秋のみぞ多かる。
七月七日の七夕は、まことに優雅なものである。次第に夜の寒くなるころ、雁が鳴いて渡ってくる、萩の下葉が色づく、早稲の田を刈って干すなど、(趣のあることが)一つに集中するという点では、秋がいちばん多いなあ。
時代は下り、江戸時代の俳人である松尾芭蕉も七夕を秋の句としてよんでいます。
たなばたや秋をさだむる夜のはじめ
七夕だなあ。いかにも秋らしくなった感じのする夜の最初だなあ。
現代のように、願い事を書いた短冊をささ竹に飾るようになったのは江戸時代のころからで、当時の様子を描いた絵(134ページ)が残っています。
七夕は、こんなにも古い歴史をもち、古典の中に記されてきました。現代の私たちが楽しんでいる七夕を、千数百年も前から同じように楽しんでいたなんて、ちょっと驚きではありませんか。
古典は、長い年月を超えて、多くの人に語り継がれ、読み継がれてきました。そこには、時代の中で懸命に生きる人々の姿とともに、各時代に生きる人々のものの見方や感じ方、豊かな想像力などを見ることができます。現代と言葉遣いや仮名遣いが違っていても、人の心の真実は、いつの時代も変わることなく私たちの心を打つのです。
皆さんは、これから出会うさまざまな古典の中に、どんな感動を見つけるのでしょう。